ACVについて覚えてることを書いちゃう①
※注意書き
この記事は当時(九年前?)にVに触れていた人達に向けた記事となっております。
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ACVについて覚えてることを書いちゃう② - TABE1123のブログ
ゲーム環境の流れなどについては今更自分が書くことでもないのでさらっと流します。前世の記憶を取り戻したい方はtukaさんの「History of ACV」を読んでください。詳しく書かれてます。
目次
③印象に残った事件とか
こんな感じでやっていこうと思っております。
①ゲーム環境の流れ
初期はガチでやってなかったので適当
400ガト全盛期→アンプ強化→全防タンク登場、魔の一週間
→検索追加されたりなんかあったりする→23FCSの発掘
こんなもんでええやろ(適当)
②当時やっていたこと
400ガトが猛威を振るっていたその頃、たべは近接部屋でムラクモを振っていた、、、!!!
~大砂漠時代~
自分が領地戦を触り始めたのは「ブレイブルー」というチームに加入してからだったと思います。パルキャ弱体に萎えて引退した人がいた記憶があるので三月あたりに入ったんかな~~?
「ブレイブルー」は闘劇にでたこともあるらしいリアル友人同士の二人のリーダー(格ゲーマーらしくブラウン管でプレイしていた)と副リーダーに率いられ、最終的に砂漠の中堅くらいの順位のチームだったのですが、入団がフリーになっているちょっと面白いチームでした。
当然ガチのマジの初心者も入ってきます。
チーム内の実力差にかなりのばらつきがあるが、ある程度まぜこぜにして領地の防衛をしていかなくてはならない。そこで当時の自分たちは一機のマルプル範サブ機と、三機の全く同じ高火力重逆ミサイル機を固定の編成とし戦法の単純化を図りました。
基本的にまず自分のマルプル機が敵の数を減らし、あとは重逆で蹂躙するという戦法です。初心者混ざりのチームでも、一部上位チーム以外はこの戦法で大体勝つことができました。ですが、一部の上位チームは砂漠の崖を徹底的に上るなどしてうまく対策してきて感心した覚えがあります。
当時の自分はキッズだったので、マルプルプレイヤーリストとして晒しスレに晒されて喜んだりしていました。
また、傭兵ランキングの順位に一喜一憂していたのもこの頃です
当時のなっさけねえPNから傭兵ランキングに傾倒していたことがうかがえます。
領地の防衛に何回か行ったらストミ9をごちそうしてくれたり、感謝メッセを送ってくれたりフレンドになったり、、ACVを長く楽しくプレイする基盤になった部分でもあったような気がします。
また、ブレイブルーの防衛ではチームカラーとチームのエンブレムをつけて出撃をしていました。(上の画像)
そんなこんなで今思うと結構サイコパスな戦法をとって領地の育成をしているうちに魔の一週間が訪れました。。。
~魔の一週間~
ACVにとっての魔の一週間は「ブレイブルー」にとっても魔の一週間となりました。元から主要メンバーのイン率が低下していたところにとどめとなってほぼ解散状態となり、正確な時期は忘れましたが領地の解放などは面倒なのでしないがチームとしての活動は終わりを告げることとなります。
そのころ自分は、あまりにパーツのバランスが悪く領地戦をやっていても面白くなかったため、フリーのランキングに手を出していました。
じーふわ重2にVTFとストレコを積んでAP勝ちで待って攻めさせてグラブする型で、本垢はこの機体でランカーまでやった記憶があります。
魔の一週間中に重2で3500くらいにポイントを伸ばしていたころ、あのファントムブレイブ太一さんと出会いチームへの勧誘を受けました。
~僕の考えた最強のチーム加入~
このへんのことはもうあまり覚えていないのですが、当時チーム内の人の半分以上がランカーあるいは高ランクポイントみたいな状況でよく自分みたいなポイントのプレイヤーを拾って育ててくれたと思います。
その点は太一に感謝だな。
ただチームのリーダーが自分が加入時点でなんかほぼ消えてたり、肝心の戦いたい相手である機動六課もいなくなっていたりでチーム発足時の目的みたいなやつは自分が加入した時点で崩れ去っていたようです。
自分以外にも海上からチームちくわさんとまんたたちが参入したり(時系列がもはやわかんねえ!!)ロスプラ2で遊んだりアッパー1位になったり、寿司なぎさんのランクポイントが雷で吹き飛んだり。
ランカーを集めた一見癖の強そうなチームでしたがみんな結構仲よく遊んでたと思います。今でもついったランドで何人か生存を確認できます。
そんなチームともお別れの時が来ます(理由不明)
当時ぼっちむにいたパヤたんとリプトンさん、あとまんたと共にアルトリに移籍することになりました。そのあとにぼっちむと戦ったりしたような記憶もないので自然消滅的な感じだったのかな~覚えてね~~~
これだけだとぼっちむの部分についての内容が薄すぎるけど本当に覚えてないんです、思い出したら後のほうにメンバーがランクマで乗ってた機体の思い出でも書くか、、
~アルトリ加入~
チームのリーダーが自分が加入時点で象徴としての天皇に(etc
実質的なリーダーがヴェスパー、副リーダーが白犬みたいな印象だったかな~
アルトリ固有のメンバーとあとはSWからとどろきとかが遊びに来てて、大逆転パイセンとかもどこかの出身って言ってた気がするけど固有のメンバーだったのかな、もう固有でええか。
当時は重2以外にあまりやりこんでいた機体がなかったのと、ぼっちーむに所属して割と短期間でランカーに達し重2としては多分当時のV内で最高レベルになってしまっていたのでアルトリに移籍後も順当に重2の枠に座ってプレイをしてしまっていました。
後から思うと元からいたメンバーにはかなり面白くない展開だったろうなーと思うこともあります。
SWメンバーによる反逆があったり(これは自分が重2の席を奪ってしまったことが間接的な理由だと思う)、領地の評価の合計が100万を超えてアッパーの法律になったり色んなことがありました。
100万を達成したあたりで特に好んで使っていた編成が確かVTF重2、レザライフルミドル砂キャ四脚、中2二機みたいな感じだったような。
当時のアッパーには侵攻側でめちゃくちゃ積極的に砂砲でヘリを全破壊するギリギリグレー、、か?な感じのチームがいくつかアッパー外から遊びに来ておりその対策に迫られて砂砲をいれてたかんじ。
100万の頃は中中重CE重だったかも、わかんねえ。
基本的に中中ミサ重に四脚や重逆、CE重などのCE枠を足す編成が使いやすく強くて、タゲの選択は2・1・1の黄金のタゲ比を取ることが多かった印象。
冬ごろにはパクシ中2なない中2たべ重2ヴェス4みたいな感じが多かったような。ななーいが加入したのは年末あたりのはずだからヴェスが中2乗ってたんだったかな、、もはやうろおぼえ。
アルトリウスの騎士団においても専用のカラーとメンバーごとのエンブレムというものがあり、自分はとても気に入っていました。
アルトリウスの騎士団の特徴として盤外の戦術にも全力を尽くすというものがあり(モラルに反することは当然しない)機体カラーはマップに合わせた迷彩柄、機体名は記載しないで機体名でのタゲ凸を防止するなど実際の戦闘以外にも出来る小細工には余念がなかったな~~~
アルトリウスの騎士団に加入してから起こった特に印象に残った出来事といえば年越し☆バトロワまんたカチキレ事件だろう。
年越しを迎えたアルトリウスの騎士団では、みんなでバトロワに集まりわいわい遊んで年越しを迎えようとしていた。しかし、最近別チームの通話に入り浸っているまんたの姿は年末にも関わらずそこにはなかった。
年末くらいこっちこいやーとふざけてバトロワの招待を送ったのが悲劇の始まりだったのだ、、、
バトロワが始まるやいなや全員でまんたを攻撃、秒で即死。まんたはカチキレてチームを脱退した。。。
これが後にチームに大災厄をもたらすアヴェンジャーまんたを生み出した事件の全てなんだよなあこれが。
他にもOROCAに潜り込んでいたフィックスとうどんがなぜか自分の古巣のブレイブルーにOROCA旅団の領地を流し始める事件があったりしたけどアルトリとは関係ないから気力があったら最後のほうに書きます。
~23FCSの発掘~
これはランクマにおいて徳くんが23FCSのWサブコン重2という強アセンを生み出してから始まった流れであまりに強かったので大会では名指しで禁止にまでされてしまった、普通にかわいそう。
23FCSの補足能力の高さは、ランクマのみならず領地戦のほとんどの機体においても有効とされ、ゲームが始まって一年以上してからアプデを経ずに一気に環境が変わった。
自分は元から25FCSを使っていたので若干人より射角が広い場合があったのだがカメラを伸ばして23FCSを採用する場面も増えた。
また、23FCSの登場によりグラブで敵を捕捉し追尾する戦術もより増えたのではなかろうか、たぶん。なっちゃんとかがランクマでグラブでぶいぶいいわせて頭角表し始めたのもこのへんだったと思う。
今思うとグランスでグラブ重2してランカーまで行ったの結構アホ。
後からとあるランカーの所属するチームのメンバーに聞いた話だがランクマッチにおいてかなりの高ランクにいたbellwinghayabusa氏は以前から23FCSを使っていたらしい。
アプデを経ずともここまで環境が変わるのかと面白く思った記憶がある。
気力があったら印象に残った事件とかVDについても書きます。
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